今回台湾旅行に誘ってくれたお友達は、
私が二十歳のころワーキングホリデーで
カナダに住んでいた時、トロントで
数ヶ月日本食レストランで一緒に
働いていたチャイニーズカナディアン。
たった数か月一緒に働いただけですが
数十年経った今でも、関係が続いています。
一緒に働いたのは、僅か数ヶ月でしたが、
面倒見の良い彼女の側にいると
かなり居心地よくトロントにいる間は、
彼女と一緒に行動する事が
多かったです。
知り合った時、彼女は
トロントに移民したばかり。
移民する前は、日本に留学していました。
天安門事件の後それを理由に
カナダで移民申請を、すると
移民ビザが通ると日本からカナダに
渡ったのですが、それを理由にするには、
渡航するのが遅く、カナダに渡った後
とても大変な日々を送っていました。
それでも、もともとかなり明るい性格で
その大変さを出さない彼女は、お友達も多く
とても魅力的な人でした。
その彼女の子どもが大人になり
お母さん同様日本に興味があると
言うので数年前、「日本にワーホリで
来たら?」と何度も声をかけていました。
昨年5月に「ビビアン(彼女の娘)が
日本に行く。」と
急に連絡が、お友達から
ありました。
私が「ワーホリ取って日本に
来たら?」と誘っていた時と
私の状況がかなり違っていました。
お店を、オープンしたばかりで、
それも自分のしていた仕事を
続けたかったので無茶して出していたので
人の面倒を見れるような状況では、なく
「お店オープンしたばかりやねん。」
「お家の事、全然できてないし…」
「お店が、アカンかったら実家に帰ろうと
思ってる。」と伝えたところ
「ビビアンから、家賃取ればいい」
「アンタもその方が助かるやろ?」と
言ってもらいながらビビアンと
一緒に住むことに。
ビビアンと一緒に棲みだし
お家の中が明るくなり
とても助かりました。
長いこと楽しく過ごしていたのですが
だんだんちょっとずれが出だし…
私が仕事の段取り悪く夜中に帰る!
休みは、家にいない!と
そのずれを、ちょこちょこ聞いていたのですが
間に入ったあげることができず…
ワーホリで2回、2年ほどカナダに
住んでいたことがあるのですが
英語が話せるようになったわけでは、なく
根暗な性格をカナダで知り合った お友達の
お陰で少しは、人とコミュニケーション
取れるようになったことが、今の
私の財産になっています。
そんなお友達の一人である
ビビアンの母。
「ビビアンのお母さんの事
めっちゃ好きやねん私。」と
何度かビビアンにも話したことが
あります。
あんなにカナダにいた時
お世話になったのに、
自分が日本に来たら?と声をかけたのに
面倒見切れず…
10月からビビアンは、一人暮らしを、
することに。
昨年7月から今年の9月まで一緒に
住んでいたのですが、
お家から出る2か月前には、
ビビアンと私の娘達との仲は、
かなり険悪なムードに。
ビビアンが日本に来た時から
お友達は、「娘が日本にいる間に
遊びに行く。」と言っていました。
ビビアンお家から出て
そのいきさつも知っているのに。
日本に旅行に来た後に行く
台湾旅行を、誘ってくれました。
「台湾旅行娘も連れて行こう
と、思ってる。」
「Kyoちゃんとビビアンが、嫌やったら
行ってから別行動でもいい」と言う私に
「小さいこと気にしないで
(娘達も)連れて来なさい!」と
言ってくれ台湾では、
ビビアンも含め皆で一緒に行動
する事に。
今回 娘達を台湾旅行に連れて行ったのは、
海外旅行につれて行ったあげたかった
からでもなく…
お金に余裕があるからという
わけでもなく…
私の大好きなビビアンのお母さんに
会わせたかったから というのが
一番の理由です。
こんな素敵な大人の人も居てる。
それが、ビビアンのお母さんで
私の親友。
私もビビアンのお母さんに会ったのは
2014年にトロントに 遊びに行った時が
最後で、その前に会ったのはその前に行った
多分10年ほど前のトロント。
仕事をしながらなかなか会える距離では、
ないので 今回連れていくことに。
台湾から帰って来て
「ビビアンのお母さん
めっちゃ良い人やった。」
「台湾人のお友達も
優しい良い人やった。」。と言ってくれたので
私が 今回の旅行に連れて行った
意味も少し感じ取ってくれたのだと
思います。
ありがとう!
親子で良い経験できました。
台湾旅行中、中国語を話せるお友達と
台湾人のお友達の後ろを付いて回る私に、
「ノリコさん情けない!」、
「自分で動こうとしない」という長女。
旅行から帰って来て、次女と京都に買い物に行き
「今日ノリコさんに、ピッタリの
Tシャツ↓見つけてきた」と長女
否定するつもりもございませんっ。