昨日フォローしているブログを、
読んでいたら素敵な内容で、
ちょうど私の一番下の妹は、8か月の
赤ちゃんの子育てをしていて
彼女の今現在にピッタリ!だったので、
妹に読んで欲しいところだけ
コピペしてLINEを、送りました。↓
読んでいたら素敵な内容で、
ちょうど私の一番下の妹は、8か月の
赤ちゃんの子育てをしていて
彼女の今現在にピッタリ!だったので、
妹に読んで欲しいところだけ
コピペしてLINEを、送りました。↓
とても良いタイミングで産まれてきてくれた!と
私を始め、うちの家族は、みんなそう感じてると
と思います。
一昨年、
私の個人的なことだけでなく、
カナダに住んでいる妹にも大きな出来事が。
それを一番支えてくれていたのが
一番下の妹。
姉2人の見てられない姿の間に挟まれ
気づいたら一番下の妹は、かなり痩せていました.
一昨年2月にお店をオープン。
それまでの間も2人の妹には、
ずっと助けてもらっていました。
パソコン関係苦手な私は、全て
それらを、カナダの妹にしてもらっていました。
その年の㋃、カナダの妹の旦那さんが亡くなりました。
彼女の目の前で…
妹の旦那さんは、カナダでビジネスをしていましたが。
年の離れた奥さんとまだ小さい息子が
自分んがいなくなっても困らないようにと、
いつも考えていた人で、アメリカでも
ビジネスを。
彼自身の家族が、かなり大変な感じで
優しい彼は、色んな事を、一人っきりで
抱えていたのだということを
亡くなった後、たくさん知ることになりました。
お店オープンしてすぐにカナダの妹を
頼ることができなくなった私は、
当分いろんなことが止まってしまい…
思考も止まり、自分が1人でビジネス始めたことが
カナダの妹の旦那さんと被り
急に全てが怖くなり、夜も寝れなくなり…
いつも緊張してドキドキしていました。
それを、カナダの妹に話した時、
「お姉ちゃんとジミーは違う!」
「一緒にせんといて!」
「お姉ちゃんは、ただ人に頼ろうとしてないだけや!」と
叱られたこともあります。
旦那さん亡くなって子供を1人で育てないといけなくなったのに
「大丈夫 ジミーはずっとミッコの側にいてるから!」
「ミッコを置いて行けるはずがない。」
「ミッコが困ったら ちゃんと助けてくれる人を
ミッコの側に連れてきてくれる…」というのですが、
言うだけじゃなくて 本当にそんな感じに今なっていて
大変ですが日本に帰ってくる選択はせずに
カナダトロントで今も子育てしています。
一番下の妹は、看護師をしています。
妹の旦那さんが亡くなった時は、一番下の妹がカナダへ。
その後帰ってきた後も、「お姉ちゃん1人はアカン人やから…」と
自分の仕事が終わると ほぼ毎日お店に来てくれて
私の話し相手をしてくれていました。
そんな一番下の妹ユキは、痩せて体質が変わったからなのか…
結婚して10年子供が、できなかったのですが
43歳にして初めての子供を、授かったことを
私とカナダの妹の出来事の次の年の2月、
ちょうど長女が手術をする日に分かりました。
長女がオペから帰って来た後メールでそのことを
知ったのですが「次の日お見舞いに行くからその時に
自分で(赤ちゃんできた事を)報告する!」と。
次の日赤ちゃん出来た事を聞いた長女は、
「ユキちゃんに、赤ちゃんできたら良いのになぁと
思ってた。」と
泣きながら「本当に嬉しい。」と何度も言い
喜んでいました。
一番下の妹夫婦は、とても穏やかで
長女は、妹夫婦のお家にお邪魔して帰ってくると
「あの家、空気が全然違う!」と私に報告。
一番下の妹自身も何もない分けではなく
一番下の妹、ユキの旦那さんは、
高校生の時に大きな病気を。
ユキは、看護師なので
友紀の同僚の看護師さんが私のお店に来てくれているのですが
その看護師さんの先輩で、ユキの旦那さんの高校の時の
状態を知ってらっしゃる方がいるらしく
入院中もとても可哀想なくらい大変だったという
話を聞いたことがあります。
乗り越えたことがかなり大きい彼なので
あんなに優しいのだろうと納得する感じです。
こんな状況の中、あの2人に健康な赤ちゃんが
授かることができたということは、
有り難いことで…
妹ユキのに送った今回のラインの内容、
1、子供は親を助けるために生まれてくる
2、子どもは、マイナスの連鎖を
終わらせるために生まれてくる
3、子どもは、自分の目的を達成するために
生まれてくる…と
どれも我が家の状況に響く言葉で思わず妹にLINE
したのですが、姪っ子の力、赤ちゃんの人を優しくするパワーに
皆で癒してもらっています。
ちなみに、本日過去のメールを見直していたら
発見↓私を始め、うちの家族は、みんなそう感じてると
と思います。
一昨年、
私の個人的なことだけでなく、
カナダに住んでいる妹にも大きな出来事が。
それを一番支えてくれていたのが
一番下の妹。
姉2人の見てられない姿の間に挟まれ
気づいたら一番下の妹は、かなり痩せていました.
一昨年2月にお店をオープン。
それまでの間も2人の妹には、
ずっと助けてもらっていました。
パソコン関係苦手な私は、全て
それらを、カナダの妹にしてもらっていました。
その年の㋃、カナダの妹の旦那さんが亡くなりました。
彼女の目の前で…
妹の旦那さんは、カナダでビジネスをしていましたが。
年の離れた奥さんとまだ小さい息子が
自分んがいなくなっても困らないようにと、
いつも考えていた人で、アメリカでも
ビジネスを。
彼自身の家族が、かなり大変な感じで
優しい彼は、色んな事を、一人っきりで
抱えていたのだということを
亡くなった後、たくさん知ることになりました。
お店オープンしてすぐにカナダの妹を
頼ることができなくなった私は、
当分いろんなことが止まってしまい…
思考も止まり、自分が1人でビジネス始めたことが
カナダの妹の旦那さんと被り
急に全てが怖くなり、夜も寝れなくなり…
いつも緊張してドキドキしていました。
それを、カナダの妹に話した時、
「お姉ちゃんとジミーは違う!」
「一緒にせんといて!」
「お姉ちゃんは、ただ人に頼ろうとしてないだけや!」と
叱られたこともあります。
旦那さん亡くなって子供を1人で育てないといけなくなったのに
「大丈夫 ジミーはずっとミッコの側にいてるから!」
「ミッコを置いて行けるはずがない。」
「ミッコが困ったら ちゃんと助けてくれる人を
ミッコの側に連れてきてくれる…」というのですが、
言うだけじゃなくて 本当にそんな感じに今なっていて
大変ですが日本に帰ってくる選択はせずに
カナダトロントで今も子育てしています。
一番下の妹は、看護師をしています。
妹の旦那さんが亡くなった時は、一番下の妹がカナダへ。
その後帰ってきた後も、「お姉ちゃん1人はアカン人やから…」と
自分の仕事が終わると ほぼ毎日お店に来てくれて
私の話し相手をしてくれていました。
そんな一番下の妹ユキは、痩せて体質が変わったからなのか…
結婚して10年子供が、できなかったのですが
43歳にして初めての子供を、授かったことを
私とカナダの妹の出来事の次の年の2月、
ちょうど長女が手術をする日に分かりました。
長女がオペから帰って来た後メールでそのことを
知ったのですが「次の日お見舞いに行くからその時に
自分で(赤ちゃんできた事を)報告する!」と。
次の日赤ちゃん出来た事を聞いた長女は、
「ユキちゃんに、赤ちゃんできたら良いのになぁと
思ってた。」と
泣きながら「本当に嬉しい。」と何度も言い
喜んでいました。
一番下の妹夫婦は、とても穏やかで
長女は、妹夫婦のお家にお邪魔して帰ってくると
「あの家、空気が全然違う!」と私に報告。
一番下の妹自身も何もない分けではなく
一番下の妹、ユキの旦那さんは、
高校生の時に大きな病気を。
ユキは、看護師なので
友紀の同僚の看護師さんが私のお店に来てくれているのですが
その看護師さんの先輩で、ユキの旦那さんの高校の時の
状態を知ってらっしゃる方がいるらしく
入院中もとても可哀想なくらい大変だったという
話を聞いたことがあります。
乗り越えたことがかなり大きい彼なので
あんなに優しいのだろうと納得する感じです。
こんな状況の中、あの2人に健康な赤ちゃんが
授かることができたということは、
有り難いことで…
妹ユキのに送った今回のラインの内容、
1、子供は親を助けるために生まれてくる
2、子どもは、マイナスの連鎖を
終わらせるために生まれてくる
3、子どもは、自分の目的を達成するために
生まれてくる…と
どれも我が家の状況に響く言葉で思わず妹にLINE
したのですが、姪っ子の力、赤ちゃんの人を優しくするパワーに
皆で癒してもらっています。
ちなみに、本日過去のメールを見直していたら
↑『お店の名前は、娘さんの名前何ですか?』
『ブログ読みました!』
『素敵ですね!』とお店の名前の由来を、
書いたブログを読んでくださったお客様が
言って下さることがあります。
長女がトワネ、次女がモワネ。
小さい時2人を呼ぶとき『トワモワ!』と
皆で呼んでいました。
娘2人の名前から付けた美容室 トワェモワ。
2人の妹が考えてくれました。
2人の妹に感謝、感謝の毎日を過ごしています。